中日、DeNA、オリックスの3球団で計8シーズンに渡りNPBでプレーしたトニ・ブランコ。首位打者、本塁打王各1回に、打点王2回、そして181本という通算本塁打数。間違いなくNPB史上に残る最強の外国人プレーヤーのひとりといってもいいだろう。
しかし、2016年シーズンをもって日本球界を去ってから早や1年半、彼に関するニュースを全く耳にすることがなくなった。引退報道も、プレーしているという報道もない中、母国ドミニカ共和国にいる彼に直接話を聞くことができた。
彼に話を聞いたのは、首都サントドミンゴの中心部から車で約20分ほどの閑静な住宅街の中にある彼の自宅だ。車庫には複数の高級車が置かれ、庭の中央にはプールが。その床の底には日本時代の8年間背負い続けた続けたお気に入りの「42」という数字が刻まれている。ジャパニーズドリームを掴んだ男の証が詰まった豪邸だ。
――2017年シーズンは全くプレーすることなく1年を送ったわけですが、引退されたわけではないのですね。
「ああ、引退したわけではないんだよ(笑)。昨冬もドミニカウインターリーグからオファーはあったのだけど、膝のリハビリを優先したので断ったんだ。復帰を目指してずっとトレーニングは続けているよ」
――8年間の日本時代を振り返ってもらいたいのですが、日本でのプレーを意識し始めたのはいつ頃のことなのでしょうか?
「2005年に初めてメジャーリーグに昇格(ワシントン・ナショナルズ)できたのだけど、定着できなかった。ああ、あの年は大家(友和)がチームメイトだったね。それでもまだ若かったし、日本でプレーすることはイメージできなかった。でも、2007年の冬からドミニカのウインターリーグに参戦して、日本のチームから関心を持たれるようになり、状況が変わってきた。20代も後半に差し掛かろうとしていたし、日本行きのオファーを受け入れたんだ」
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